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映画「ハンナ・アーレント」とは

有名なユダヤ人哲学者

この映画は、女性哲学者ハンナ・アーレントが1960年に起こした炎上事件(筆禍事件)の実話がベースになっている。 ハンナ・アーレントは1975年に亡くなった哲学者。 20世紀の女性哲学者の中で、最も有名な人物の一人とされる。 ドイツ系ユダヤ人で、 第二次世界大戦でナチスの強制収容所に連行されながらも脱出した経験を持つ。 アメリカに亡命した後、ナチスの経験をふまえ「全体主義」の研究者として評価された。「全体主義の起源」という本が有名。 ドイツの著名哲学者ハイデッガーの教え子であり、愛人だったことでも知られる。(藤川晶奈)

雑誌に寄稿して炎上

ナチスの元高官で南米に逃亡していたアイヒマンが逮捕され、イスラエルで裁判が行われる。 裁判を傍聴したアーレントは、雑誌「ニューヨーカー」にリポートを寄稿するが、 その内容が被害者であるユダヤ人を非難するものだとして、 世論から猛反発を受ける。 この炎上事件を、アーレントのそれまでの半生をふまえた映画化した。

ドイツ映画賞で主演女優賞

監督は、女性のマルガレーテ・フォン・トロッタ。 主演バルバラ・スコヴァの大女優的なドイツ語イントネーションが、アーレントの存在感を映画に刻印している。

2013年のドイツ映画賞で作品賞銀賞、主演女優賞を受賞。 年バイエルン映画祭で主演女優賞を受賞。 2012年トロント国際映画祭で公式上映。2012年東京国際映画祭でコンペティション部門作品に選ばれた。

■ 映画「ハンナ・アーレント」
監督 マルガレーテ・フォン・トロッタ
出演 バルバラ・スコヴァ
原題 Hannah Arendt(ドイツ語)
公開 2013年
ドイツ、ルクセンブルク、フランス
動画 予告編(Amazonビデオ)→

解説

ナチ高官「アイヒマン」の裁判傍聴記録
「凡庸な人物」

1960年、ナチ逃亡犯アドルフ・アイヒマンが、潜伏先のアルゼンチンでイスラエル諜報(ちょうほう)部に拘束された。 アイヒマンは元ナチス親衛隊。 数百万人のユダヤ人を強制収容所に送った重要戦犯だ。米国で大学教授を務めるアーレント(バルバラ・スコヴァ)は、アイヒマンの裁判を傍聴し、そのリポートを発表する。 ハンナ・アーレントは裁判で官僚的な証言を繰り返したこの男を、「人間としての思考を放棄した凡庸な人物」と断じ、その持論を貫いた。

実際の記録映像も使用

映画のメガホンをとったマルガレーテ・フォン・トロッタ監督はアイヒマンの記録映像を巧みに挿入し、孤高の哲学者の公私にわたる人物像に肉薄。アーレントがバッシングに毅然(きぜん)と反論するクライマックスが感動的だ。

単なる伝記映画にとどまらず、悪という概念の考察やユダヤ人社会の複雑さなど、多様な視点が盛り込まれた一本となった。

筆禍の哲学者

アーレントの思考自体は分かりにくいと言われるが、映画は単純明快だ。 彼女をマカロニウエスタンやハードボイルドの主人公のように、一種のアウトローとして描くのである。

ナチ高官を擁護したと非難

彼女は収容所で過ごした過去があるにもかかわらず、アイヒマンを凶悪な怪物ではなく、上からの命令に従っただけの平凡な人間だと書いた。 「悪の凡庸さ」を主張する彼女は、アイヒマンを擁護していると激しく非難される。 友人たちは彼女から去り、大学には辞職を勧告される。

組織への無批判な忠誠が不正のもとに

「KY(空気が読めない)」という言葉が流行したほど、周囲に合わせることを大事にする我々には、「悪の凡庸さ」は実に理解しやすい。 企業の犯罪も、役所の不正も、組織への無批判な忠誠が引き起こすことが少なくないからだ。

アーレントは「KY」?

一方で、当時のユダヤ人たちが「悪の凡庸さ」を認められなかった心情もよく分かる。 むしろ異様に映るのは、周囲から非難されても考えを変えないアーレントの「KY」である。

アーレントの格好よさを女優スコヴァが見事に表現

アーレントを演じるスコヴァが、何にも動じないふてぶてしさを、見事に表現する。 こんなにたばこを吸うヒロインも、最近では珍しいだろう。 紫煙を吐きながら、はるか先を見据えるような目線と、厳しい顔つきを見せる。 その顔に、例えばクリント・イーストウッドが演じた「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」の主人公たちが重なってくる。 不屈の精神などというより、そのようにしか生きることが出来ないアウトロー。 実に格好いい。

フォン・トロッタ監督

女性監督のマルガレーテ・フォン・トロッタは、ハイデッガーとの不倫などは回想場面でわずかに示すだけで、シンプルに筆禍事件に絞った。 周囲に屈しないアーレントを描くことで、「悪の凡庸さ」の主張をくっきりと浮かび上がらせた。 思考が生き方となり、強さとなって、周囲を圧倒していく様子が爽快だ。 しかし、感動ものになりそうになると、直後に冷や水を浴びせるような場面を続ける。 単なる偉人伝にしなかったフォン・トロッタ監督の冷徹な視点を感じる。

1時間54分

神保町・岩波ホール。

日本の哲学者名鑑「タ」~武内大 自治医科大学

武内大・自治医科大学は、日本の哲学者。教授。 東洋大学出身。 著書は「現象学と形而上学: フッサール・フィンク・ハイデガー」など。 実存思想協会研究会などで研究発表をしている。